こんなわたしは死んだほうがいいですか?悩んでいます。
わたしは大学卒業後、レンタルビデオショップの店員としてフリーターの生活をしていました。もともと学校では友達が多かったわけでもないですが、社会人となった、数少ない友人から聞く苦労話さえ当時のわたしにとっては羨ましいものでした。
梅雨入りする頃には家族内のいざこざなどあらゆることが、雨の日の憂鬱とあいまって特にこれといった目的もなかったのですが、ある友人のオーストラリア旅行の話を聞いているうち、どこでもいいから飛び出したい衝動に駆られて、梅雨明けと同時に日本を出ました。豪大陸の北西部にある町で彼と初めて出会いました。
そこは猛暑と荒涼の大地にぽつんと気まぐれに作られたようなちいさい町ですが、「月への階段」という自然現象が見られると某旅ガイドブックに紹介されているおかげで、日本人旅行者には有名です。彼は一見すると浮浪者そのもので髪は伸び放題、Tシャツ・短パンも何日も洗濯していないようすでしたが、安宿にいた日本人はどういうわけか彼の周りに自然と集まっていました。
でもそれは彼の人となりを知ればすぐわかることで、とにかく面倒見がよかったのです。アマノジャクでひねくれていたわたしに何度無視されようとも、彼はいつも一人だったわたしに挨拶したり、言葉をかけてくれました。
結局、無神経にずかずか入り込んでくる彼の後ろから「ありえないんだけど」と呟いていたわたしの方が、分け隔てなく接するあの場所ではありえない人間だということに気付きました。それからは夕食に招かれる際には参加して、アルコールは苦手ですがその後の飲み会にもつきあうようになったのです。
「月への階段」まで一週間とせまった頃には10人近い人数が集まりましたが、15分もあればぐるりと回れる規模の町に娯楽と言えるものはなく、バスで走ること20分のビーチに日光浴をするぐらい。その日がくるまでただ時間を潰すのに腐心する毎日。
雑談の話題さえこと欠き、だれともなく始めた怪談話もなくなったとき、仲間の1人がビーチへ行く途中日本の墓地らしきものを見かけたという話を持ち出しました。こんな日本から遠く離れたへき地に墓石なんてあるわけがないと見つけた本人も半信半疑のようでしたが、宿の地元スタッフに聞くと、戦前に入植してきた日本人が眠っていると言うことでした。
そこは昔から真珠の養殖が盛んで、日本に限らず中国などアジア諸国から多くの移民がやってきたそうなのです。ダーウィンの戦争記念館では隙間なく寄せ書きされた大きな日章旗や古式ゆかしさをしのばせる手記の他、数多くの銃器が展示されていました。
わたしはそれを目にしていましたから、今でこそ反日感情は薄れてきたと言えるでしょうが、当時がどんなものだったか想像しました。戦後の混乱によって帰国できずにいたのか、それともなにか特別な事情があって失意のうちに留まったのか、わたしにはわかりません。
しかし、どんな事情があったにせよ、周りには荒野しかなく、反日に吹き荒れていたであろうあの地に留まることはできないと思いました。わたしたちはみな若く、それゆえ好奇心旺盛でした。
スタッフの話を聞き終え、誰もがその墓地へ行くことでつかの間の刺激を得ようとしていました。しかし、彼だけは「肝試しには行かない」と渋り、結局、彼抜きで明晩決行ということでまとまりました。
翌朝、半数がバスに乗ってビーチへ向かい、残りの半数が懐中電灯や虫よけスプレー、食材などの買い出しを済ませ、昼食を持ってビーチへ合流。そしてまだ日の高い時間に先発グループが夕飯の支度のため宿へと戻って行きました。
わたしは彼と同じ後発組で息苦しいほど熱い日差しが傾き始めるころまで海水浴を楽しみ、その日は最終の1本前のバスに乗ることにしました。しかし、定刻となっても一向にバスがくる気配はない。
そんなこと、あの国では大都市でもよくあることです。その都度腹を立てていたら疲れるだけでなにも良いことなんてありません。
あのときもそうでした。最終バスを待てばいいものを、血気盛んというのかこらえ性がないというのか、歩いて帰ることになったのです。
海岸沿いに続く道を折れ、内陸へと道なりに進む。最初は意気揚々とした歩調であったのに、いつしか誰もが熱さと疲労で無口になって、先を歩く男子とも距離が開いていきました。
でも日が暮れるまで十分時間はあります。「おーい」と先頭の子が大仰に手招きをし、道から外れた方向へ腕を差し向けながら、小走りに道路を横切っていきました。
その先にはそれまで赤茶けた大地だけだったのに、大小様々な草木が集合して茂みを作っています。すこし前を歩いていた彼の横について2人でみんなの後を追いました。
「ああやっと日陰で休める」などと愚痴をこぼして歩を進めるうち、さっきまで雑然としていた藪がなにかを避けているように見えました。「お墓だ」そう思うだけでなぜか、ぞっとしました。
辺りはまだ明るいし、日本の実家のすぐそばに墓地があるのでそんな意識するほどのものではなかったはずなのに。彼もそれに気付いたのかしばらく無言になり、とつぜん「俺はこんなとこで死にたくはなかった」と弱々しく言いました。
確かに彼がそう言うのを聞き驚いて、とっさにわたしは「死にたくなかった?」と彼に問い返しましたが、彼は怒気を含んだ調子で今度ははっきり言いました。「こんなとこで死にたくはないな」と。
一体いくつ墓石があったのでしょうか。簡素なフェンスはかなり奥行きがありました。
100や200では効きません。切り出したままの岩や黒い御影石にお名前が彫られ、なかには消えかかって判読できないものまでありました。
広い敷地内には雑草が点在し、野ざらしの墓石に手入れをする人、ましてや手を合わせ供養する身内もいないのでしょう。わたしは目についた雑草に手を伸ばし引き抜いては、フェンスの外に投げていました。
散策に飽きて木陰で休んでいた他の仲間も遊び半分に真似し始めます。まったく焼け石に水というような作業でも胸のもやもやを吹き飛ばす役には立ちました。
日も暮れ、疲れて辺りを見渡すと、奥でひとり後ろすがたの彼が手を合わせて黙とうをしているのがわかりました。そして、彼はリュックからペットボトルを取り出し、渇ききった石に水をかけたのです。
わたしたちは一滴でもいき渡るよう水を撒き、墓地を後にしました。結局、その日本人墓地への肝試しの計画は流れてしまいました。
あの日宿へ帰る道々、わたしたちはひやかしで行く場所ではないとわかったからです。夕食を作ってくれていたグループには「昼間あの場所へ行く方が怖い」などと説明し、「魔よけ」と称して大量の水を持たせました。
翌日「怖くなかった」と言って帰ってきましたが、「魔よけはどうしたの?」とたずねると、「重いから墓地に撒いてきた」ということで、とりあえずなんとなくわかってもらえたようでした。彼の様子がおかしくなっていったのは墓地へいったあの日からでした。
いつも中心になって話をしていたのに、急にふさぎ込んでひとりでいることが多くなり、「月への階段」の日を目前にしてパースへ南下する長距離バスに乗って行ってしまいました。3ヶ月後、パースでわたしは彼と再会しました。
シドニーから長い列車の旅を終え向かった宿に彼はいたのです。彼が去ってからすぐメールを送りましたが、それまで1度も返信はなく、わたしも送信することはありませんでした。
最初は驚きましたが、奇跡とかいう陳腐な偶然はこんな風に訪れるものなんだと思います。話したいこと、聞きたいことは山ほどあり、彼も同じ気持ちだったようで、わたしたちは時間が経つのも忘れてお互いの近況を報告しあいました。
よくよく話を聞けば、彼は材木店で働いたお金で中古車を購入し翌日南部へ出発するということでした。もともとわたしは3週間ほどぶらぶら滞在した後、また列車でシドニーへ戻る予定でしたが、停車駅が彼の目的地と重なることもあって、そこまで相乗りさせてもらえないかと懇願し、彼は承諾してくれました。
終始彼は初めて出会った頃のように明るく、あの日突然彼が去った経緯などわたしの頭からはきれいに抜け落ち、昔話がでた拍子に思い出してそのことについて訊ねてみました。彼はただ「あそこから早く出たかったから」と答え、わたしもなんとなくわかるような気がして、深くは追求しませんでした。
それからは楽しい旅になると思っていました。停車駅までの道程の間、5ヶ所、それぞれ2、3日停泊する旅程でした。
南部地方は北部と違い、緑が多く、自然豊かな場所で地域によっては気候も冷え込むことがあります。しかし、広大な地であることはかわらず、そのため流行し始めた携帯電話のインフラも不整備のところがほとんどで、ひとたびエンストを起せば誰かが通るのを待たなければなりません。
犯罪に巻き込まれて、どこかに埋められてしまえばきっと迷宮入りです。もしかすると、そこにだれかが埋められているかもしれない、とそんなことを考えながら景色を眺めていました。
彼は疲れても決して運転を変わろうとせず、そうかといって居眠りしてしまったわたしをとがめることはしませんでした。本当に待遇はよかったのですが、日ましに会話が少なくなり、沈黙を嫌ってわたしが話題を振っても彼は生返事ですぐ途切れてしまい、居心地が悪かった。
それは運転中気が散るからとか、ハンドルを握ると性格が出るといった、そういう類いのものだと思いました。ですが、彼はハンドルから離れてもこちらから話しかけなければ口を開くことがなくなり、唯一アルコールが入るときだけわたしの知っている彼に戻りました。
だからわたしはアルコールをできる限り切らさないようにして、その日もいつものように夕食のあと、テーブルの上にそっとビールを置きました。それまでわたしは名前以外、彼の素性というものを全く知りませんでした。
知る必要もなかったし、知らなくても支障なくこれまでやってきましたから。逆にそれを聞くことでぎくしゃくしてしまったり、わたしのことまで根掘り葉掘り詮索されるのが心配でした。
それが突然彼はこの旅を始めるきっかけとなった出来事を語り出しました。そのときわたしは世間知らずでピンときませんでしたが、恐らく最近問題になっている○栄や○工Fのような会社で働いていたこと、取引先の社長が首を吊っているのを目撃してしまったことなど涙声で話し、ひどく悔いている感じでした。
わたしは嗚咽をもらしながら告白する彼を前にして、ただ聞くことしかできませんでした。でもそれでよかったんだと思います。
今なら誰にも言えない苦しさがどんなものか、そしてどうすれば和らがせることができるのか、わかりますから。語り終えると彼はテーブルに突っ伏し、しばらくして何事か呟いて静かに席を立ちました。
「死んだほうがいいんだ」多分そう言ったのだと思います。その晩、わたしは夜遅くまで日記を綴っていました。
書き記すことが多かったのと、ある疑問が頭をよぎってなかなかまとめることができなかったからです。どうして、彼があのときそのことをわたしに話したのか。
釈然としないまま、ノートを閉じて部屋へ向かいました。4人ドミトリー部屋でしたが、宿泊者は彼とわたしの2人だけ。
他の部屋の宿泊客も就寝したようで、辺りは静かでした。鍵穴を手探りしているとき、かさかさと物が擦れる音に気付きました。
明らかに自然のものではありません。ゆっくり扉を押し開けると耳に届く音が大きくなり、窓から斜に差し込む月明かりの中、彼がベッドの上で半身を起してわたしを睨んでいるのが見えました。
異様にするどい2つの眼光に射すくめられ、声を上げることも、身動きすらできません。瞬間ふっと彼は視線を外して、両手で足をさすり始めました。
取り憑かれたように手を懸命に動かし、それもどんどん速くなっていきます。そのとき、先程の音の主が彼だと気付きましたが、一心不乱に上下する彼の動きも音も気味が悪くて、わたしは怖くて気が変になりそうでした。
とりあえず声をかけてみよう、そうわたしは思いました。しかし、もし彼がそれに答えてくれなかったらと考えると、さらに恐ろしくなってその場に座り込み泣いてしまいました。
どれくらい時間が経ったのかわかりません。いつしか、音が止んで「痺れるんだ。
こうしてないと、動かなくなるんだよ。でも、大丈夫」と聞こえました。
わたしが顔を上げると、彼は既にベッドから降りてこちらに向かってきました。腰が抜け、這って部屋から出ようとしたとき、彼は戸を大きく開いてわたしの横をすり抜けていきました。
片足を引きずって。わたしは彼を見届けてからも少し呆然としながら、我に返ってすぐ扉を閉め鍵を掛けました。
もちろん、彼も鍵を持っていたはずですから、またいつ帰ってくるとも限りません。とにかくわたしは扉に背を当て彼の侵入を拒もうとしました。
ベッドまでのわずかな距離さえ恐ろしくて、寝袋を取りに離れることもできません。ぶるぶる震えながら、朝一番でここを出ようと決めました。
朝の喧騒で目が覚め、いつでも逃げれるようにと扉を開け放したまま、手早く荷を詰めました。ちらちら出口を見ていたのですが、わたしがバックパックを背負った矢先、音もなく彼がドアの前に立っていたのです。
ぞっとしました。しかし、辺りは明るく、彼の後ろを通り過ぎる人影に勇気づけられ「わたし、バスで行くから」と切り出し、彼は「そう」と間をおいて「送っていってやるよ」と申し出てきました。
「もう、いいから。構わないでよ」そう言った途端、彼がひどく悲しそうな表情に変わるのを見て少し胸が痛みました。
わたしはチェックアウトするついでに、パースへの上りと停車駅までの下りの長距離バスについて訊ねました。すると早くても翌日の昼だというのです。
親切に調べてくれたスタッフもわたしたち日本人が一緒に車で旅をしていることを知っていましたし、急にわたしがバスに乗って出て行こうとしているのを見て心配したのでしょう、「喧嘩でもしたの?」と聞いてきました。どう答えていいものか悩んで、「そう。
顔もみたくないから、部屋を変えてほしい」と頼み、そのスタッフは仲直りを薦めるようなことを言いつつわたしの要求を飲んでくれました。新しく割り当てられた部屋は前と同じ間取りで、3つのベッドには先客の私物があるだけでだれもいませんでした。
しかし、1人ではないという安堵する気持ちと長い緊張からの解放で、意識していなかった疲労がどっと体に現れました。戸締まりを確認して横になるとすぐ意識がなくなり、ルームメートが戻ってくるまでわたしは眠り続けました。
あのときのわたしは空腹よりも彼への恐怖心が勝り、翌日のバスの時刻まで部屋にこもるつもりでした。目が覚めてからは必死にノートへ書き込み、なにかしら文章を頭のなかで練っている間だけは不思議と落ち着くことができました。
が、喉の渇きとトイレだけはどうしても我慢ができず、夕食のせわしくなるときを見計らって行動にでようとしたのです。トイレは彼の部屋の脇にひとつ、キッチンを抜けた先にもうひとつありました。
人気の少ない場所で鉢合わせするのだけは避けたいと思ったわたしは、キッチンの方を選んだのです。案の定夕食の準備に多くの人が集まり、そのなかに3人のルームメートと仲良くしている彼の姿が見えました。
足早にやり過ごそうとすると、彼のわたしの名前を呼ぶ声が聞こえて一瞬立ち止り、間を置かずに「腹減ってんだろ?」という彼の意外な言葉と優しい物言いに、わたしはつい頷いてしまいました。イギリス人とオーストラリア人2人のルームメートと楽しそうに食事をしている彼をみて、真夜中の出来事がすべて夢だったのではないかと自分自身を疑い始めていました。
わたしは話がとぎれたところで、自然に、でも内心びくびくしながら「夜どこで寝たの?」と彼に訊ねました。すると、「リビングのソファでマッサージしてたらそのまま朝まで寝てた。
ところでなんで泣いてたんだよ。お前、たまに気味悪いことするよな」というような返答が戻ってきました。
困惑です。でも、なんでマッサージ?という素直な疑問を彼にぶつけると、顔をしかめてかなり渋った挙句、おずおずと話してくれました。
鉄の鎖に下がる黒い物体から水が滴る音。風もないのに自転して、徐々に暗闇から白い顔が浮き上がってくる。
その表情は寂しげであったり、笑っていたり。でも最後にはかならずじぃーっと見つめてくる。
彼は定期的に暗い工場で首を吊った社長の自殺現場を夢として見ていたのだそうです。そして、北部の日本人墓地までさかのぼります。
彼はそこを訪れて以降、その夢を頻繁にみると同時に別のものが現れるようになったと言いました。それが潜水服の男でした。
宇宙服のような格好をした男は頭の部分を時間をかけてゆっくり外していくというのです。そしてその男はマスクを小脇にかかえ、手招きの動作をくりかえすのですが、彼にはなぜか男が「来い」ではなく「去れ」と言っているように思えたそうです。
わたしはそこまで彼の話を聞き、気になったことがあったので彼にその潜水服の絵を簡単に描いてもらいました。それはやはりわたしにも見覚えがあったのです。
わたしも普段夢をみているのでしょうが、朝になってしまうといつもきれいさっぱり忘れてしまいます。そのくせ日常生活でもよく白昼夢の類いを経験しますし、この旅で一番自覚したのは同部屋の人から、朝ほぼ聞かされるわたしの寝言です。
怒ったり、笑ったり、泣いたり、ときには歌うこともあるそうです。しかし、一切思い出すことができない。
彼はケアンズの博物館に真珠の養殖のために使われた昔の装備一式が展示されていたのを目にしていて、後になって思い出したそうですが、わたしもどこかの博物館で見かけただけだと思うようにして、彼にはなにも言わず、続きを促しました。その男が夢に出たときに限って、いつもどこかしら体が痺れる。
そのままにしておけばいずれ麻痺して、うごかなくなるんじゃないか。そんな根拠のない恐怖に煽られる。
そして彼は首つりの夢にも変化が起こったと言いました。睨みつけられるだけだったのに、口を激しく動かしてこっちに叫んでいる。
でも何を言っているのかわからない。その顔が恐ろしくて目をそらそうとしても、口元に焦点が合ってはずれない。
一番怖かったのはその口の動きで「死ね」と連呼しているとわかったときだった。そして、彼は宇宙服のようなものが潜水服と気付いてから、なにもかもがあの日本人墓地に結びついていると思うようになって、あの土地を離れたと言いました。
事実、遠ざかるほどに2つの夢は見なくなり、パースに到着してからは週に1度あるかないかだったそうです。体が痺れることもなくなり、あの土地を訪れる以前の平穏な日に戻ったのです。
しかし3ヶ月後、旅の再開と期同じくして、鳴りを潜めていた悪夢が再び始まりました。彼はその夢はまた少し前のものと変わっていると教えてくれました。
首つりの死体は相変わらず「死ね」と叫び続けるのですが、潜水服の男はマスクを取った後「去れ」ではなく「殺せ」と意識に直接働きかけるようにして言うのだそうです。そして、彼が過去の告白をした日の昼間、彼はソファで本を読みながらうとうと寝入ったとき、首をくくって死ぬ前の社長に彼が「隠し通せるとしたら、死ぬ以外にないですよ。
どうしますか?それでもお金ないですか?」という夢を見たのだそうです。それは現金を回収する際に彼がよく口にしていた文言だったといいます。
あまりにも現実味を帯びていて、やり直せるならやり直したいと願いながらも、その意に反して再現される夢をいたたまれない気持ちで傍観していると、社長は「いま死ぬ以外にないんだよ、お前がなっ!」と言い放って夢が覚めたそうです。変な時間に寝てしまったこともあり、わたしはその晩もまた遅くまで彼から聞いた話を書き留めていました。
気味が悪い、それしか感想はありません。彼の過去に対する根深い罪悪感が起因しているのだろう、わたしはそう結論づけることしかできませんでした。
翌朝わたしはなに食わぬ顔をして、彼の車に乗り込んで次の目的地に出発しました。心配だったから。
できるだけ彼のそばにいてあげようと思ったから。その日は400キロ近い長距離を走らなければ行けませんでした。
2時間に1度車を休ませながら単調な景色を眺めていると、わたしはいつしか微睡んで意識がなくなり、彼の切羽詰まった声で現実にもどりました。わたしにはとても短い間です。
「おい、大丈夫か?」彼は車を端に寄せ、半ばおびえた様子でそう問いかけてきました。わたしは「なにが?」と困惑しながら彼の顔をみると、にわかに夢の残像がよみがえり始め、いまにも消えそうなイメージを紡ぎ止めようと目をつむりました。
わたしはどうしようもない怒りを抱いて、潜水服の男と対面していました。マスクを外したその男は彼です。
「おい、どうした?」もう1度、彼に呼び戻されました。そして、わたしは彼に問いただしました。
彼の見た潜水服は誰なのか、マスクの下は誰だったのか。彼は驚きながらも、短く低い声で「俺だ」と答えて、「でも、どうして」と詰まりました。
わたしはなんと言っていいものやら、とまどい、考えあぐねているうち、彼は「おまえは一体どんな夢をみてたんだ?」と呟きました。「いままで教えなかったけど、気味が悪いことばかりお前は言うんだよ、寝ている間に。
さっきも突然『おまえだけ帰らせるかっ!』とかなんとか言ってた。流石にこんなこと初めてだったから起したんだよ」わたしはショックでした。
夢のなかでなにかを必死に叫んでいた覚えがあったから。また、わたしは彼が本当と嘘を言ってるのだと思いました。
なぜなら夢のなかのわたしは「死ね」と何度も叫びながら、彼を刺していたからです。幾度も幾度も。
彼が車を発進させてから、わたしたちは終始無言でした。どちらかが、なにか言い出せば現実になりそうで怖かった。
ここで大筋の話は終わり。日記を読み返して、忘れていたことが多すぎて本当に過去にあった出来事なのか、それとも記憶の産物なのか区別できない。
そういうことってよくあるでしょ。どちらにしても、作り話として読んでもらわないと困る。
懺悔?告白します。今でも苦しめてる。
大きな衝撃と音で目が覚めた。目の前の光がいびつに屈折し、焦点が合わずにいるのかと思ったけど、それはフロントガラスのクモの巣のように張ったヒビのせいだった。
その真ん中には赤い血のようなものまである。隣にいるやつはハンドルに額を軽く何度もぶつけながら「やっちまった」と涙声でつぶやいてた。
頭の中にはすぐ「カンガルー」が思い浮かんだ。夜行性の動物が道路から光に誘われて飛び出してくるから、夜は車の往来はほとんどない。
市街地は別だけど、タイヤ交換に手間取って予定より大幅に遅れ、漆黒の帳が降りてからも走ることを余儀なくされてた。「やっちゃったものはしょうがないでしょ、早くいこうよ」そう促すと、あいつは「そうはいかないだろっ」と声を荒げて、ドアを開け外にでた。
カンガルーを轢いた場合、道路脇に移動させるのが常識。だけど実際は死なずに瀕死の状態だったとき、近寄るとこっちに被害を加えることが多いからそのままにしておくのが普通。
注意しようとして、あいつがカンガルーではないものを引きずっているのを目撃した。連絡先を交換しないままあいつと別れた。
だけど帰国してメールが届いてた。思い出したくもないから、少しほっといたけどあいつの生死を確かめようとおもったの別れてすぐの日付だったかなあんな原始的生活が行われてる田舎で、どこでメールを送ったんだか、不思議でしょうがない。
それにはただ短くこう書いてあったあのことは誰にも言うな「あのこと」ってなによ。もうこれ読んだときにはまじ、笑った。
このことでしょ?あの陰気な顔で毎日「死にたい、死にたい」っていうの聞いてるだけでホントうんざりした。いつかこいつ、自首するとかいうんじゃないか、気が気じゃなかった。
そのころ、ほんとあいつを殺したいとおもってた。だから、別れる前に全タイヤを小型ナイフでえぐっといた。
なかの針金みたいの出てくるまでやっといたから、バーストしてくれてればいいんだけどあいつの望みどおり死んでればいいのに何がなんだかわかんなくなっちゃった。あいつが居眠りして人轢いてんのに、罪の意識負わせてさ。
ひとりで溜め込んでると気が狂いそうこれって、通報されんの?っていっても、証拠もなにもないから無理だよね。事件にもなってないしもう確かめようがないしここって創作推奨でしょ?はい、全部俺の作り話でした。
疑わしきは罰しろとか言われても作り話だからなにもでませんよ嘘か本当か区別できないひとはなんとやらどう?楽しんでもらえたかしら。ああ、すっきりしたまじ、ありえないんだけどこんなわたしは死んだほうがいいですか?