小学校の時、家の近所に心霊スポットがあった。
一方通行の細い畦道なのだが、特定の時間にその場所を車で通ると、後部座席に何か乗ってくるそうだ。俺はその真偽が知りたく、近所の中の良いおじさん(といっても20代ソコソコか?)に頼んでそこに連れて行ってもらった。
特定の時間というのは正確には覚えていない。しかし、深夜ではなかった。
まだあたりは薄暗い程度で、夕飯も食べていないような時間だった。知らない道ではないが、通常はほとんど通る事はない。
舗装もされておらず、片方はブロックの擁壁、もう片方は田んぼになってる。擁壁の上には民家が一軒あるだけで、その周囲は森になっている。
この道の先には農業用水の大きな溜池があり、基本的には立ち入り禁止になっている。溜池の周りにはフェンスがしてあり、農繁期以外は鍵がかかっていた。
車は絶対にすれ違う事は出来ない細い道だ。県道から左に曲がり、民家の門の前を横切るとその道に着いた。
「?○○、うれしそうだな?」おじさんが言った。俺はワクワクしていたのだろう。
幼い頃からこの道には入ってはいけないと言われていた。禁を破って何かをするのって興奮しますよね。
「うん。オバケ出るかな?」俺が聞くと、「イヤ、出ないだろw溜池が危ないから、子供だましの迷信なのさ。
ここのオバケはw」と簡単に夢を打ち破ってくれた。「えー、つまんないなー。
」俺は言いながら外の風景を見ていた。そんな会話をしながらもゆっくり車は走り続けていた。
すでに道の半分以上を過ぎていた。おじさんは、もともと良くしゃべる人ではあったのだが、その日は特に饒舌だった。
昨日の野球のナイターの話に始まり、子どもには関係の無い奥さんへの愚痴、今夜の夕飯は何か?など、とにかく引っ切り無しにしゃべり続ける。おじさんとの会話に気を取られ、すっかりオバケの事など忘れようとしていた。
溜池に着いた。フェンスは例によって閉まっている。
フェンスの前には車がUターンする為のスペースが少しだけ設けられている。おじさんはバックミラーを見ながらUターンを始めた。
その時、一瞬おじさんの眉がピクッと動いたような気がした。しかし、おじさんは相変わらずくだらない事を話し続けていた。
それでも何か違和感を感じた俺は、そーっとバックミラーを覗き込んでみた。「○○!見るなーっ!」急におじさんが叫んだ。
俺はびっくりしておじさんの顔を見た。目に涙が浮かんでいる。
「見たか?見えたか?え?見たのか?」おじさんが何度も聞いてくる。俺は「ううん…見てないよ…、見てない…」と答えた。
おじさんは、その細い道ではこれが限界だろうと思えるほどのスピードで車を走らせた。俺はその間ずっと下を見ていた。
細道を抜け、しばらくいくと民家の明かりが明るくなってきた。少し落ち着きを取り戻したようだが、おじさんは無口だった。
家に送り届けてもらい「じゃ…ありがと…おやすみ。」と俺が言うと、「おやすみ…」と一言だけ言って帰っていった。
次の日にはいつものおじさんだったが、あの日のことはそれ以後一度も話さなかった。でも、本当は見えてたんです。
後部座席に白くて小さいおばあさんの顔が。それも1つや2つじゃありませんでした。
バックミラー一面にびっしり張り付いたように沢山の顔が不規則に並んでいました。何かしゃべっているのか解りませんが、口を開けたり閉めたりパクパクしながらこちらを見ていました。
先日、久しぶりに帰郷した時、そのおじさんと酒の席で一緒になり、あの時の話をしました。もう20年以上前の事ですが、お互い鮮烈に覚えていました。
おじさんもやはり同じものを見ていたらしく、しばらくはうなされたそうです。その話には後日談があり、その内容をおじさんが話してくれました。
俺たちがソレを見た2日後の話です。その道の脇の擁壁の上に家。
そこで死後2週間程にもなるおじいさんの遺体が見つかりました。そこには痴呆症気味のおばあさんが、おじいさんの介護の元生活していたそうです。
しかし、ある日、おじいさんが脳梗塞で倒れ、そのまま意識を失いました。おばあさんは病院に連絡することも無く、倒れたおじいさんを布団に居れ、1人で生活していたそうです。
おそらくおじいさんは程無くして亡くなったのだと思います。そこには一緒に居るはずのおばあさんの姿は無く、消息は不明でした。
警察や地元の消防団等の捜索が始まりました。おじさんも消防団の一員だったので捜索に加わりました。
はじめから溜池が捜索の中心になりました。おじさんは断固その捜索には加わらず、別のチームに居たそうですが。
案の定、溜池からはおばあさんの死体が上がったそうです。確認はしていないそうですが、おそらくあの時のおばあさんだと思います。
今では綺麗に舗装もされ、田んぼを少し削って道も広くなっていますが、おじさんはあの道には未だに入れないそうです