厨房の頃、俺はDQNだったwいわゆるヤンキーの下っ端って言う感じだった。
で、先輩が肝試し(というか根性試し)する。と言う話になって下っ端は嫌でも行かなければいけなかった。
先輩の言うことは絶対で、無視すれば殴られるからだ。場所は近所にある古い寺。
雑誌にも載ったことがある曰く付きの場所だった。ルールはDQN風味で大雑把。
・墓地を一周・幽霊に会ったら根性見せるw・何か適当に持って帰ってくる(すげー罰当たり)だった。勿論、行くときは一人だ。
まず、龍の裏地がお洒落ポイントのH先輩が先陣を切って墓地に入って行った。「なんじゃこるぁ!」とH先輩の凄みの聞いた声が聞こえる。
10分ぐらいでH先輩は帰ってきた。左手に墓を洗う桶をぶら下げていた。
次はK先輩だ。スクーターでこけたときの傷が顎の下に残る寡黙だが怒らせると怖い人だ。
黙々とK先輩は懐中電灯も付けずに墓地に入って行った。持って帰ってきたのは「卒塔婆」だった。
古い「卒塔婆」を前に俺たちは先輩も含め完全にびびっていた。無論、顔には出さずK先輩の男気を下っ端の俺たちは褒めた。
先輩たちも根性を褒めていた。K先輩はまんざらでもない様子だった。
下っ端のうち俺より先に1年坊主が行かされることになった。ここで根性見せないと後の三年間はへたれで終わってしまうので彼は必死だった。
途中、短い悲鳴が上がったが無事戻ってきた。そいつは石の玉のようなものを戦利品で持ってきた。
苔の生えた相当古いものだというのが分かった。俺の番になってさぁ行くぞという時に寺の住職に見つかり幸いにも俺は墓場に入ること無く男を見せる根性試しは終わった。
逃げる時にH先輩がこけて出血した。足首も捻ったようだったが、男気で乗り切ったらしい。
ここまで語ればあとはお決まりの怪現象に俺たちは悩まされる。そもそも罰当たりなヤンキーに下ったばちは相当なものだった。
4日後。まず、H先輩は高熱を出した。
出血した所がひどく化膿してぐずぐずになった。捻っただけと思われた足首は腫れ上がり骨折していた。
お見舞いに行ったがあの凄みのある先輩はすっかりやつれていた。持って行ったプリンに手も付けず、先輩は俺たちに帰れと言った。
何かを恐れているようだった。K先輩はといえば次の日急に足から力が抜けてホームに転落したらしい。
ひざかっくんを喰らった。とK先輩は割れた額に絆創膏を貼った顔でそう力説した。
スクーターも別のヤンキーにぼこぼこにされて持ち主の兄貴にもぼこぼこにされたそうだ。いまでも急にひざかっくん状態になるんだ。
と嫌そうな顔で語ってくれた。1年坊主はと言えば一番悲惨だったのではと思う。
バイクにはねられ、全治3か月の大けが。入院中の病院でも夜中に自分のベッドの横に誰かが立ったり、悲鳴が夜中に聞こえたりとすごいハードな入院生活を送っているようだった。
肉付きのよかった体は傷だらけの痩せっぽちになり、髪のつやもなく皮膚もガサガサになって退院してきた彼はまず最初に軍団を抜けさせて下さい。と願い出た。
いつもならそんなよわっちい奴には蹴りが入るのだが先輩たちは素直に認め彼はヤンキーをやめた。そして、彼は転校した。
俺はと言えば、墓地に入らなかったのが幸いしたのか何も起こらなかった。代わりに住職に詫びを入れに行く。
と言う大役を仰せつかった。卒塔婆と桶と石の玉を住職に返し、もう肝試しはしない。
と誓わさせられた。卒塔婆は元の墓に納まり、桶は水場に置かれた。
石の玉はどうなるんだろう?と思っていたら古い墓の上に乗せられた。くぼみがありそこに乗っていたものだった。
俺は墓に一軒一軒詫びを入れて特に卒塔婆を取られた墓と玉を取られた墓には厳重に詫びを入れた。肝試しはやるなとは言いません。
節度を持って、そこの住人(生きていようが死んでいようが)に敬意を払い失礼の無いようにやりましょう。墓地からなにか持ってくるなんてとんでもないことです。
住職や神主に一声かけて許可を貰うとグッドです。いずれにせよ、そこは神聖にして生者不可侵の場所です。
なにがあっても自己責任です。元DQNより心を込めて