洒落にならない怖い話を集めました。怖い話が好きな人も嫌いな人も洒落怖を読んで恐怖の夜を過ごしましょう!

  • 【洒落怖】2番目に大切だった思い出

    2023/07/10 21:00

  • 修士に進学した4月、こんな俺にもはじめての彼女ができた。

    相手は講座に配属になったばかりの4年生。女子学生が少ない学科だったが、その中でも特に女子の少ない、というよりも過去にはほとんど女性のいなかったその講座に入ってきた彼女は、当初その存在だけで俺達を困惑させた。

    前髪を野暮ったく切ったロングヘアーに度のキツイ眼鏡。いかにも母親にデパートで見立ててもらいましたというようなフリフリのロングスカート姿。

    講座の連中は、そろいもそろって自閉症気味のオタクばかりで、女子学生が入ってきたというだけで、もう、どう対処して良いのか判らなかったようだ。かく言う俺も、当初はめんどくさいなあとしか思っていなかった。

    しかし。新歓コンパの二次会に向かう路上、眼鏡を外した彼女の素顔。

    俺は、古くさい言い回しだが、視線が釘付けになった。

    「こんな綺麗な娘だったのか。」

    いや、実際そこまでの美形ではなかったのかもしれない。でも、俺には彼女が、彼女と並んで歩いているこの時間が、まるで遠い過去から予定されていたような、運命的なものを感じた。

    瞬間、恋に落ちていた。

    「あ、あのさあ..。」

    「え?」

    眼鏡をかけ直して振り向いた彼女に、俺は自分でも予想のつかないセリフを放った。

    「世界で一番、君が好きだ。たぶん、ずっと昔から...。」

    「はい。たぶん、わたしも...。」

    コンパの二次会をすっぽかして、夜の街を、なぜか手を引いて走った。

    誰に追われている訳でもないのに。女の子と付き合ったこともなかった俺は、どこに行けばいいのかわからない。

    駅前の喫茶店で夜の10時まで話し込んだ。それが自宅生の彼女のタイムリミット。

    駅のホームで見送る俺は、胸が張り裂けそうだった。

    「シンデレラだって門限は24時だろうがよ!」

    人生、数式では定義できないものだと知った。

    「コペンハーゲン解釈、ありゃ嘘だね。」

    「わたしも思ってた。」

    「エヴェレットにしても人生経験が浅い。」

    「多元宇宙論ね。解釈問題に立ち入ると先生が怒るわよ。」

    「君も俺も、世界で一人ずつだ。他にスペアはいらない。」

    世界は、この世界は、俺が人生を賭けられると思っていた物理の真理よりもはるかに甘美な世界だった。

    「このまま時間が止まればいい。でも、時間の流れは過去も未来も定義に違いはない。流れていると感じる我々に限界がある。」

    「はぁ。なんでこんなに好きなんだろ。あなたと会えなかった世界なんてパラレルワールドにもあり得ないわ。」

    安アパートの、通販で買ったソファーで彼女の肩を抱きながら、時間の経つのも忘れて話をした。

    「高校まではずっと野球部だったけど。その頃の話でね..。」

    俺は高校までは野球漬けの生活だった。

    進学校の弱小野球部、3年間で公式戦では一度も勝てなかった。それでも俺が部活を続けていたのは、試合ではいつも、いや、日頃の練習でもなぜか俺達を見に来る野球好きらしい女の人の存在があったからかもしれない。

    その人は、いつも同じ格好をして、俺達の試合や練習を見に来ていた。不思議とチームメイトたちは気が付いていないようで、俺が話題を振っても「何それ?」という具合。

    黒のミニスカートにタンクトップ。真夏でも紅いスイングトップを羽織って。

    ショートの髪型とハイヒールが、「大人の女」そのもので、俺はずっと気になっていた。

    「たぶん、高校のOGなんだろうけど。でも、俺らの高校が共学になったのはそれほど前じゃないし、野球部はずっと弱小チームだったからわけが判らないのだよなあ。OBの話でも女子マネージャーはいなかったって言うし、単なるファンなんてありえないのだけどなあ。」

    「あなたの憧れのひと?もしかして初恋のひと?」

    「そんなんじゃないんだけど。たぶん、君に似ていたんだよ。」

    「わたしと出逢うよりず~っと前でしょ!」

    「それが時間的に前の事象だと決定できるの?」

    「物理の話してるんじゃないでしょ!ふふっ。あなたは憧れてたんだ。そういうお姉さんに。」

    「お、俺はそんなこと(野球部)しながら大学受験は大丈夫かクヨクヨしていた、ただの迷い子だったよ!話しかける勇気もなかったさ。」

    夜中に電話で起こされた。なにか気がかりな夢をみていた記憶はある。

    起きたときに涙で視界がぼやけているのが自分でも訳が分からなかった。

    「おい!そこを動くな!今から行くから、とりあえず目を覚ましておけ!」

    友人のSからの電話だった。

    Sが部屋に来てからの記憶は飛んでいる。霊安室で、ベッドでもない妙な台に横たわった彼女はいつもの姿ではなかった。

    黒いミニスカート、紅いスイングトップ。ショートヘアー、ハイヒール。

    彼女の友人らしい女の子が泣きじゃくりながら俺を責める。いや、俺を責めていたわけではないのだろう。

    「あなたに、あなたに見せるんだって言って、私とこの服買いに行ったのよ!」

    「眼鏡がないと...。きっと困ってる。」

    「なに言ってるの!?あなたのために...。」

    彼女は友人と別れた後、自宅と目の鼻の先の路上でクルマにはねられたらしい。

    運転していた若造は一旦逃げたが、仲間に付き添われて警察に出頭していた。俺はその後もふらふらと生きている。

    大学院は中途で辞めた。今は普通のサラリーマン。

    物理のブの字も想いだしはしない。半袖ワイシャツでの営業の途中、暑さにたまりかねて飛び込んだ喫茶店で甲子園の中継を見る。

    なにをしても中途半端だった俺の、もう、どうでもいい人生で、2番目に大切だった思い出。高校の野球部。

    彼女は時を超えて見守ってくれていたんだ。知り合う前から、ずっと....。