ある日の放課後、弓道部の備品を預けようといつもの使っているコインロッカーを開けた。
ロッカーの中を開けて見るなり驚いた。中にタオルにくるまれた赤ん坊が入れられていたのだ。
もう死んでいるらしく瞼はかたく閉じられていて、身動きしない。脈を取ってみたが赤ん坊の冷たい手首からは何も伝わってこなかった。
警察に届けようかと思ったが面倒くさいのでやめた。これから、塾があるのだ。
事情聴取なんかに付き合っていたら勉強が遅れてしまう。色々考えた挙句、駅の裏に位置する公園の池に捨てることにした。
私はあの池の魚たちが好きなのでえさをあげようと思ったのだ。きっとあの赤ん坊の遺体は魚に食べられるだろう。
一週間ほどたった夜、私はあの赤ん坊のことを思い出し、ふと公園に立ち寄って見る事にした。池のほとりで黒い水にゆたう月の美しさに見入っていると、異臭とともに何か小さい小型犬のようなものが池から這い出て来た。
よく見ると、あの時私が魚たちに与えた赤ん坊である。生きていたのだろうか。
いや、そんな筈がない。確かに赤ん坊は死んでいた。
ということは・・・これは、あの赤ん坊のゾンビなのだろうか?体のどこも腐ってはいないが。と、あの赤ん坊が私の足元に尋常でない速さで擦り寄り、からすのような妙に甲高い声で囁いた。
「ママ」どうしたことかこの赤ん坊は私を母と思い込んでいるようである。少し戸惑ったものの、怪物とはいえ、慕われて悪い気はしない。
私は夜も更けた頃に家を抜け出して公園へ行き、あの赤ん坊と散歩するようになった散歩といっても公園から外へ出ない。私は赤ん坊と凍て付く冬空の中、冷たい輝きを放つ星を見たり、針葉樹林の匂いを嗅いだり、東屋で即興で作った詩を赤ん坊に聞かせたりした。
赤ん坊は私といる時、とても楽しそうだった。赤ん坊と時間を過ごすようになってから1カ月が過ぎる頃、私はあのロッカーの前でうなだれている女を見つけた。
20代後半のうらぶれた貧しそうな女で、ぼさぼさの髪の毛をゴムでゆわえ、筋張った体に趣味の悪い派手なワンピースを身にまとっていた。大方、あの子の母親なのだろう。
今更、後悔しても遅い。あの子は既に私のものなのだ。
あの子もあんな醜くやつれた女よりも私の方が母で嬉しいはずだ。私は優越感を抱きながら家に帰り、あの子に名前をつけてあげようと思い立った。
あの子は女の子だ。私の名前「橘 冬華」から一文字とって「橘 美冬」などどうだろう。
あの子は冬に生まれたので調度良い。あの子はものが食べられるようになるだろうか。
もしそうなったら私の得意料理である、ビーフシチューと、クランベリータルトを食べさせてあげよう。翌日、私は驚愕と悲しみを味わう事になった。
あの女が公園で死んでいたのだ。腹を美冬に食い破られて。
美冬も死んでいた。警察は美冬を獣とも動物とも認定することができず美冬の死体は、大学の研究室に送られることになった。
私にはわかる。美冬は母の腹の中に帰ろうといたのだ。
あの公園の池より快適な場所へ。私より大切な人の所へ。
美冬は私よりあの人を選んだのだ。美冬は母親に会えたのだ。
これで良かったのだ。私はその日の夜、何年かぶりに泣いた。