長野は茅野の友人を訪ねた帰り道。
夜11時近かったろうか。甲府を抜け、雁坂道を走っていた。
助手席には同行した友達が寝ているのか、無言でシートにうずまっていた。長い県境のトンネルを抜けて少し経ったころ。
山道の崖側のほうに人間らしき姿がヘッドライトに浮かんだ。ちょっとびっくりしたものの、そのまま通り過ぎる。
「今の見た?」友達は起きていたようで、いきなりそう切り出した。「見たよ。
人みたいだったよな」「あれ、生きている人間じゃない気がする」いきなり何を言い出すのか、こいつは。「なんだよ…変なこというな」鼻で笑ってみたものの、正直、夜の山道でそんなこと言われたら気持ちのいいもんじゃない。
少し走ったとき、助手席から「おい、見てみ、あれ」と声がした。また、崖側に人間らしき影があった。
ヘッドライトがあたると、それは確かにさきほど見た「人間らしきもの」と同じようである。「おい、スピード落とすな」慌てて、離しかけた右足をアクセルに置く。
「目を合わせるなよ。見えないふりをしろ」「あれ…マジで…か?」「たぶんな。
また来るぞ」さらに2,3分走ったところで、果たしてそれは現れた。もう、疑いようがない。
ヘッドライトの明かりで見る限りでも今までのものと、同一人物であった。「…三つ子が夜道のドライバーを脅かそうとしてるのかもな」言ってはみたものの、自分でもそんなわけが無いと思う。
そしてまた現れた。「四つ子じゃ、ないよな…」「おまえ、なんかおかしいと思わないか?」「おかしい?」「ああ、たぶんまた出てくるからよく見てみな。
よく見ちゃまずいと思うが」また2,3分後、お約束のように現れる。確かに違和感があった。
同じ人物なのは間違いないのだが。「奴、こっちが止まるまで出てくるつもりかな」「じゃあ、止まれば終わるってこと…か…」「止まったところでろくなことは起こらんだろうよ。
まあ、見えないふりをしていたほうがいいだろう」「だけど、たしかにおかしい、何か違和感があったよ」「俺も自信がないけど、次きたらはっきりするだろ」そして、それが現れたとき、はっきり違和感の正体がわかった。「でかくなってるよな」「なってるよな」今いるそいつは、ざっと見ても身長が2mを軽く超えていた。
確かに人間じゃない。「ははは…狐や狸が化かす時代でもないよな…」乾いた笑いで言う。
それでも友達が隣にいるから、乾いていても笑いが出る。ひとりだったら、笑いじゃなく小水が出ていたかもしれない。
「とにかく無視しろよな。関わってもいいことはないと思うから次に出たときは、さらに大きくなり3メートルかそれに近いような気がした。
そんな調子でおよそ3分おきに現れる。徐々に大きくなりながら。
正直、恐怖で言葉も発せられなかった。ただ道にあわせてハンドルを動かすのが精一杯であった。
最初はほとんど人間の大きさであったと思う。それが、このまま現れ続ければ、いったいどこまで大きくなるのだろうと考えると、とてつもない恐怖であった。
おそらく友達もそうだったのだろう。10回を過ぎたころから、一言もしゃべらなかったのだから。
14、5回は出たと思う。最後には10メートル近くになっていたはずだ。
もう気づかないふりにも無理がある。しかし、ちょっとした里の集落の灯りが見えると、そいつは姿を現さなくなった。
3分が過ぎ、5分が過ぎ、10分と過ぎても姿を見せない。「もう出ないみたい…かな…」「逃げ切れたか…」まだ不安は残るものの、どことなくほっとした空気が包む。
大したことのない、行灯式の看板や自販機の灯りがこのときばかりは頼もしく思えた。集落を抜けたはずれに、自販機が並べてある駐車可能なスペースがあった。
お互い喉がカラカラだったので缶コーヒーを買った。そして、車を車道に戻して徐々にスピードを上げる。
ふとサイドウインドーを見ると、闇に浮かんだ山が、巨大に膨れ上がった物の怪のような気がした。