バイクの話で申し訳ないんですが。
一昨年の夏、北海道にツーリングに行ったんです。あさってはいよいよ東京に帰るっていう日のことです。
ちょっと足を延ばしすぎてしまったんですね。夕方頃に着いた街で一泊すればよかったのに、「もうちょっと先まで行ってやろう」なんて欲をかいたのが間違いだった。
行けども行けども、次の街なんて見えてこないんです。街どころか、人家すらいっこうに見当たらない。
日もどんどん暮れてくる。「そのうちに、泊まるところぐらい見つかるだろう」なんて考えたのが、いけなかった。
北海道の広さを、甘く見ていました。星明りだけの、ほとんど真っ暗闇の中を、ずーっと一人で走っていました。
そのうち、前方に大きな建物が見えてきました。最初は、学校だと思ったんです。
よく考えれば、こんなド田舎に、そんなに大きな学校があるわけないんですけどね。(今夜はここの軒先で野宿させてもらおう)と思って、敷地の中に入っていきました。
敷地に入ってみると、どうやら学校ではなさそうです。(どこかの会社の研究所かな?)とも思いました。
鉄筋コンクリートの、比較的大きな、無愛想な建物なんです。灯りも何にもついていなくて、建物のシルエットだけが、星空をバックにして黒く浮かび上がっている。
それにしても、人間社会の生活に関わっているような匂いが、全く感じられない建物なんですよね。ところが近づいてみると、中から「ザワザワ、ガヤガヤ」と、大勢の人がいるようなざわめきが聞こえてくる。
(ここはどこかの会社の社宅かもしれいな。事情を話せば、泊めてもらえるかも)なんて呑気なことを考えて、ノコノコ近づいて行きました。
でもね、そこでふと足が止まったんですよ。「おかしいぞ」と思って。
だって変ですよね。建物には、灯り一つついていないんですよ。
「非常口」の緑色のランプが見えるだけで、窓は全部真っ暗なんです。時計を見たら、夜中の一時を過ぎている。
そんな時間に、大勢の人間が起きてることなんて、普通はあんまりないですよね。それなのに、相変わらず中からは「ザワザワ、ガヤガヤ」聞こえてくる。
最初は「宴会でもやってるのかな」なんて思ったんだけど、どうもそんな楽しそうな雰囲気じゃない。大勢の人間が、めいめい好き勝手なことをつぶやいている。
ひょっとしたら、みんなして念仏でも唱えているんじゃなかろうか……。そんな感じなんです。
……気配って、確かに感じるんですね。私のすぐ目の前、1メートルばかりのところに、建物の出入り口があります。
粗末な鉄製のドアで、上に「非常口」の緑色のランプがある。その灯りだけが、辺りをボーっと照らしている。
そのドアの向こうに誰かがいるような気配が、はっきりと感じられるんです。(いる。
絶対にいる。間違いなくこのドアのすぐ向こうに、誰かが立っている……)くり返しますけど、私とドアの距離が、ほんの1メートルですよ。
そのドアのすぐ向こうに、へばりつくようにして誰かが立っている。見たわけじゃないけれど、確かに感じるんです。
そして建物の中からは、相変わらず「ザワザワ、ガヤガヤ……」その頃には、大体状況が把握できるようになりました。人がいるのは、ドアのところだけじゃない。
真っ暗な窓という窓の向こうに、大勢の人がいて、みんなで私を見つめているようなんです。ブワー!って、一瞬にして全身の毛が逆立ちました。
バイクのところまで、すっ飛んで帰りましたよ。ブルブル震える手でキーを差し込もうとしたんだけれどなかなか入らない。
やっとのことでエンジンがかかったら、後はもう一目散。絶対にミラーを見ないようにして走り続けました。
どれほど走ったのか記憶がないけど、ようやく前方に赤いランプが見えてきた。派出所でした。
お巡りさんは、いました。考えてみれば、ここ七、八時間の間に、ようやく出会えた本物の人間です。
私はよっぽど蒼白な顔をしていたらしくてお巡りさんは、最初私が犯罪にでも巻き込まれたのかと思ったようです。ゆっくり事情を聞いてくれました。
しかし私の話を聞いた後、彼は同僚と額を突き合わせて、何やらボソボソと話してるんです。「ウソだろ?」「マジかよー!」なんて小声で言ってるのが、聞こえてくる。
目の前でそんなふうに言われたら、誰だって気になりますよね。私は、「どういうことなんですか?教えてください!」って聞きました。
するとお巡りさんは、私の顔をまじまじと見つめて、こう言ったんです。「君ね、この街道沿いにある大きな建物っていったら、一つしかないんだけど、それって火葬場なんだよ……」