ひとりで青森へ出張に行ったときのことだ。
出張先は青森市郊外のさびれた一角にある小さな家電販売店で、夜、打合せが終わったあと、店のオヤジと、近所のうらぶれた居酒屋で飲んで別れた。かなり寒い夜で、俺は震えながら市内のビジネスホテルにむかって、さびれた街路を歩いていた。
上を自動車道路が走っているうす暗い高架下を歩いていたとき、むこうから俺と同じような、くすんだコートを着た瘠せた男が、酔っているらしく、よろけるように歩いてくるのが見えた。男は、うす暗いなか、俺の顔をじっと見ているようだ。
俺もその顔に見おぼえがある気がして、「N、か?」と、名を呼んでみた。Nは中学時代クラスにいた、ワルの使いっ走りのような奴だった。
万引きで警察に補導されたり、教室での窃盗がバレて担任に張り飛ばされたりしていた。彼はうなずき、「○○?」と俺の名を言った。
何年かまえに地元の知人から、Nは中学を卒業してすぐ家出をくりかえし、現在は行方不明であると聞いていた。「いま何してるんだ?」俺はきいたが、Nはそれには答えず、「気分がわるい」とつぶやき、いきなりうずくまって吐いた。
俺はあわててNの背をさすり、どうしたものかと戸惑っていた。Nは立ちあがると、たまたま通りかかったタクシーを停めて乗り込み、「近いうちに□□に戻るので、そのときに連絡する」と言って、そのまま走り去ってしまった。
その半年ほどたって、地元の中学時代の知人と再会したときに、Nの話が出た。知人は、Nが札幌でキャバクラのボーイをしていて、2年前に心臓麻痺で死んだ、と言った俺は、半年前にNと会ったことを話し、その話自体が間違いであるか、死んだのは最近なのではないか、と告げた。
知人は、2年前の当時に、直接Nの親族から死亡の話を聞いたと言う。何とも言いいがたい気分で、俺は知人と別れた。
それから2週間ほどした夜中に、俺は電話で起こされた。俺はひとり暮らしで、受話器はベッドから手を伸ばせばとどく位置にある。
闇のなか手さぐりで受話器をとると、混線しているのか、ひどい雑音のむこうから、途切れ途切れにNの声が聞こえてきた。いま、□□に着いた、と言っているらしい。
俺は「よく聞こえない。車できたのか?」と聞くと、やはりひどい雑音のむこうから、途切れ途切れの声で、いま、□□に着いた、と繰り返した。
「よく聞こえない。□□のどこに着いたんだ?」と再度聞くと、Nの声はそこで途絶えた。
いく度か「もしもし」と呼んだが、あとはただ雑音が続くだけだった。不安な気分で受話器を手さぐりで戻し、闇のなかで寝返りをうった。
見上げると、ベッドの脇にNが立ち、青ざめた顔で俺を見下ろしていた。俺は声を出そうとしたが、舌がひきつって動かなかった。
足元から全身に、何かがのしかかるような重みがかかり、身動きができなくなっていた。激しい恐怖感におそわれて、全身から汗がザアッと出た。
パニックのなか、もがこうとしているうちに、叫び声をあげている自分に気がついた。Nの姿はなく、体が動くようになっていた。
俺は部屋の電気をつけ、それからTVをつけて深夜番組のボリュームを上げた。番組の内容などどうでも良かった。
何でもいいから明るい世間の気配とつながっていたかった。明け方、空が白みはじめて、ようやく少し落ち着いた。
Nの死亡については、今日まで確認していないし、するつもりもない。