これは、とある事がキッカケで霊感(?)を得た、オレと母の話家は社宅の二階オレと姉、そして母の三人家族。
父親は別居していた。中学卒業を間近にひかえた初春のある日の夜、受験の圧力からは解放されていたオレは、コタツに入ってダラけながらテレビを視聴。
母も一緒。姉は風呂(←いつも風呂入ってる)時間はハッキリ覚えてないが、終電の時間は過ぎていた。
そう終電。家のベランダから電車の通る高架線までは、目と鼻の先。
なので、電車が走っている時間帯は騒音によりテレビや電話は妨害される。電車の通らなくなるこの時間帯は小さな幸せ。
母と共にバラエティー番組に夢中になっていた。そんな時。
そんな時、番組の司会者のユーモアたっぷりの司会が途切れた。電車の音母と一瞬顔を合わせる…が、すぐにテレビに向き直る(チッ…なんだよ…まだ何か走ってんのかよ…)終電終わったハズなのに、何かが走る…そんなことはまぁ珍しくはなかった。
点検やら修理やらで(あと貨物とか?よく知らないケド)そういう車両がたまに走ることは知っていた。そしてまたコタツで談笑…するハズが、そうならない。
電車の音が終わらない…。(?どんだけ長いのが走ってんだ!?)非日常的な出来事にさすがに不信に思った。
と、同時に母が立ち上がった。そして一点を見つめてる。
ベランダへ繋がる戸(冊子?)にかかるカーテン。電車の音の中、オレはイヤな予感がした…カーテンに近づく母『ちょっ…!待って!!』オレは母を止め、隣の部屋に木刀を取りに走った。
そして母のもとへ戻った。母は今まさにカーテンを開ける瞬間。
いつでも母をかばえる形で構えたつもりのオレ。母は無言でカーテンを開けた。
高架線まで約50メートルほどだろうか…明るい月明かりの下、確かな電車の走行音。…だけど走る電車の姿は見えない。
見えるのは…『人』のみ一番しっくりくる表現は『透明な電車と、それに乗る人々』間違いなく人が流れていた。高架線の壁により腰より上しか見えないケド、確かに人。
ただ突っ立ってるような人もいれば、まるで吊革に掴まるような格好の人もいる。…流れていく人々はすべて、オレと母を見てた様に感じた。
ここでオレ、チビるオレはしばらく呆然としてた。母もおそらく。
その流れを何人分見送ったか分からないケド、オレと母は結構長い間それを見てた。『ガチャ!!』家の中からの不意の音に、オレと母は『ヒィッ…!!』ハモった。
姉が風呂の戸を開ける音で我に返った。…いつ消えたのか、電車の音が聞こえなくなってた。
…人もいない。母のキョドった顔見て、オレが見てたモノは幻じゃないと半ば確信。
その後しばらく母と何か会話したが、細かい内容は忘れた。その日以来、終電後の電車の音は一度も聞かないまま、オレ達家族は社宅を引っ越した。
すべて謎だらけ。というより、下手に詮索したくなかったのが本音。
この出来事、実は最近思い出した。きっかけは写真。
今のオレの実家は、とある事情により、また引っ越しをした。荷物の整理をしていて、アルバム発見。
お決まりのように、昔話に華が咲いた。大量の写真の中に、長く暮らしたあの社宅と、その周辺の風景の写真を見つけた。
その中に、あの高架線の写真があった。全部で12枚。
すべての写真が全く同じ。アングルから何から何まで。
まぁ焼き増ししたモノだろうケド。…何の為に?家族全員覚えなし。
思い出したのはあの日の出来事。オレと母。
社宅は取り壊されたケド、あの高架線は今も健在。もう見たくないケド。