私の友人に、息子が病気で3年近く闘病生活を送っていた家族がいる。
その家族の母親の話。息子の名前はAとしておこう。
Aは通っていた高校のすぐ近くの病院に入院していた。入院直後はクラスメイトも見舞いに来たが、なにぶん入学早々であったから、友達らしい友達もおらず、見舞い客はすぐに途絶えた。
しかし、入院して2ヶ月程経ったある日を境に、奇妙な見舞い客がくるようになった。一日一羽、時間はまちまちであったが、一日一羽の折り鶴を持ってくる青年が現れた。
名前を聞いても恥ずかしいからと名乗らず、息子に風貌を伝えても思い当たらないと言う。一週間が経つと、さすがに気味が悪いと思い、母親が尋ねた。
「お気持ちはうれしいのだけれど、あなたは息子とどういった関係なのでしょう?」「はい、クラスメイトです。ですが、A君はすぐ入院してしまって、ほとんど話したことは無いのです。
ですが、クラスメイトとしてお見舞いをするのは当然のことでしょう?」母親は安心し、涙さえ浮かんできた。「えぇそうね。
ごめんなさいね。では息子にあってくださらないかしら?」「いえ、あってしまったらおしまいです。
毎日訪ねる僕の顔は、学校に来なければ見れません。そうすれば、A君も早く学校に行けるよう病気と闘うと思うのです。
」母親は、あぁ彼は彼なりに考えてくれているのだと、それ以上たずねるのを止めました。青年は雨の日も、風の日も、休みの日も平日も、休むことなく毎日見舞いに来ました。
そして青年が初めて訪ねてきた日から千日目が過ぎた。その日青年は来なかった。
その次の日も、次の日も。千羽鶴が出来上がるはずのその日を境に、青年は一度も訪れることは無かった。
母親は、青年に何かあったのではないかと不安になっていたし、これまでの礼も言いたかった。そして退院の日、夫は周りの目も気にせずないていた。
母親も、あぁなんといい日だと涙が出そうであった。退院後数日して、母親は夫に家族で旅行にでも行こうと提案した。
夫はいぶかしんでいたが、妻気持ちをさっし渋々了解した。もちろん母親も退院のすぐ後に旅行は難しいとは思っていたが、息子が行きたいと母にねだるのだから仕方が無い。
そして旅行当日の朝、駅に向かう途中であの青年とでくわした。「まぁ、お体でも悪くしたのかと思って心配しておりました。
」「いえそうではありません」「ではなぜおたずねになるのをおやめになったのですか?」「千日目のあの日、息子さんは亡くなられていたはずなのですが。」