俺の実家は結構田舎かつ山の中で、周りは畑ばかり。
お隣はお寺で、それ以外に特にご近所と呼べるようなところはなかった。下に何百メートルか下っていくとようやく家が点在しているというありさまだった。
だから当然夜になると真っ暗だし、薄気味悪いことこの上なかった。そこに住んでいるころ、いくつか体験したことがあるのでそんな話をひとつ。
まだ小学生のころの話。そのころまだ低学年だった俺は、家族と一緒に一部屋で寝てた。
ある晩、不思議な夢を見た。俺が居間で母親に何か熱弁をふるっている。
夢だから自分は何をしゃべっているのか分からない。が、母親は真剣に話を聞いていたように思う。
話がいよいよ佳境に入ったらしく、俺は「だから!」と言って、テーブルをドン!と叩いた。その瞬間、家の奥の納戸から子供の声で「もーいいかーい?」という呼びかけが聞こえた。
「かくれんぼ?」夢の中の俺は、そう思い納戸に続く廊下を覗き込んだ。その瞬間、納戸の扉がバッと開き、「もーいーよー!」といいながら、身長1メートルちょいくらいの小柄な影が飛び出してきた。
それは影というより、真っ黒な人だった。どこからどこまでも漆黒の、人型のかたまりがものすごい勢いで俺のほうに駆けてくる。
俺はあっけにとられて動くこともできない。納戸からはまた、同じくらいの大きさの、もう一体の黒い人が飛び出してきた。
二体の黒い人は、俺の目の前でカーブを切り、客間へと続く廊下のほうに走っていった。夢の中の俺は訳もわからずその二体の黒い人を追いかけた。
そして、二体の影を追いかけて客間にたどり着いたとき、俺はふっと目が覚めた。周りを見るとなんだか薄明るい。
「もう朝か」と漠然と思った。しかし変な夢を見たおかげで胸がどきどきして落ち着かない。
横に寝ている両親と弟はすうすう寝息を立てている。「起こされるまでもう一回寝よう」そう思って俺はまた布団に入り込んで目をつぶった。
そしてウトウトとし始めたとき、突然体が動かなくなった。「金縛りだ!」さっきの夢を思い出して体から冷や汗が流れる。
手はピクリとも動かない。とんでもない恐怖感に押しつぶされそうになる。
何とか声を出して隣に寝ている両親に助けを求めようとするが、声が出ない。「ヒューヒュー」というかすれたような息遣いが自分の口から聞こえるだけだ。
そうこうしているうちに体が突然動くようになった。体をガバッと起こして目を開ける。
さっきまでは薄明るかったはずなのに周りは真っ暗になっている。「え?朝じゃなかったの?!」こうなると自分でも訳が分からない。
時計を見るとまだ二時を少しすぎたばかり。自分のおかれている状況が理解できなかった。
あわてて両親を起こして、事情を説明して同じ布団で寝かせてもらった。両親は形だけは真面目に話を聞いたが信じちゃくれなかったと思う。
所詮は子供が寝ぼけただけだ、と。その晩はそれ以後何も起こらなかった。
次の日、また夜中に目が覚めた。時計を確認する気にはならない。
どうせ夜中だ。今度は周りも明るくない。
そして、そのときの俺は「また寝ようとすると金縛りにあうに違いない」と(なぜか)確信していた。もう寝るわけにはいかない、金縛りは二度とごめんだ…たしかそんなことを考えていたように思う。
だが当時の俺はいかんせん馬鹿な小学生。「寝ないぞ!」という決意むなしく再びまどろんでしまった。
そして眠りに落ちるその瞬間、またしても体が動かなくなった。しかも今度は昨日と違う。
誰かがいる。俺の上に誰かが乗ってる。
腹の上に乗ったそいつは、たぶん笑っている。そいつの笑い声がかすかに聞こえる。
もう一人、俺の真横(親たちのいないほう、俺は一番端っこに寝てた)に誰かが座って俺を覗き込んでる。俺は「絶対に目を開けるものか!」と決心して目をつぶっているのに、なぜかその状況がまるで目にしているかのように頭に浮かぶ。
「ねえ…ねえ…」「遊ぼうよ…」突然耳元で誰かが俺にささやきかけている。今でも忘れない奇妙な声。
無機質な、機械の合成音のような、生きている人間の気配のない、非現実的な声だった。俺はあまりのことに叫びたくてたまらなかった。
だけどどんなにがんばっても声は出ない。「ねえ…」「かくれんぼをしようよ…」そいつらは俺に語りかかけてくる。
そのときふと、当時読んでいた怖い話の本(子供向けのやつだった)に、「幽霊は強気な人をこわがります」(うろおぼえ)という記述があったことを思い出した。そこで俺は、心の中で「おい、誰がお前らなんかと遊ぶか!もう二度とくるな!出てけ!」と強く念じ、お隣のお寺で教えてもらった般若心経の出だしのところを繰り返し唱えた。
そうしているうちに、ふっとまわりから気配が消えた。俺は恐る恐る目を開けた…不思議なことに今度は周りが明るい。
「夢だったのかな」とも思ったが、まだ腹の上に乗っかられていた感触がある。あれが夢のわけがない。
まさかもう金縛りにあうことはないだろう。なぜかそう思って、俺はまた布団にもぐりこんだ。
その瞬間、また体が動かなくなった。今度は目を閉じることができない。
「いやだ、いやだ」と思っても、俺はなぜか部屋の隅を凝視してしまう。俺の視線は部屋の隅に固定されたまま動かない。
そして、視界はだんだんと闇の濃さを増していく。「さっきまで明るかったのに!」俺は信じられない気持ちでどんどん暗くなっていく部屋の隅を凝視していた。
そこで俺はふと気づいた。部屋が暗くなっているのではない。
そこだけが、部屋の隅だけが暗くなっているんだ。いつの間にか、部屋の隅に黒い、真っ黒な影が二体立っていた。
夢の中でみた影だ。人型の影は不安定にゆらゆら揺れている。
「ごめんね」と影が言ったところで俺の意識は途切れた。それ以降俺はしばらく金縛りにあうこともなく健康に暮らした。
数日後この体験が気になって、お寺の住職に尋ねてみた。住職は俺の話を聞いて、こう言った。
「それはたぶん関東大震災のときに亡くなった、下の○○さんのところの子供たちじゃろう。大震災のときはずいぶんとひどい山崩れがあって、まだ小学校に上がる前だったその子たちがそれにまきこまれたんじゃ。
近隣の人たちが必死に探したが見つからなくてのう。結局いまだに見つかっていないのじゃ。
だが墓はあるから、どうだ?お参りでもせんか?」俺は住職と一緒にお墓にお参りに行った。すでに苔むしている墓は、なんとなく寂しげにそこにたたずんでいた。
神妙な気持ちでお祈りをしているときに、住職がふとこんなことを言い始めた。「わしはこの子達の一級上でな。
この子達はよくお寺にも遊びに来たんじゃ。大震災の日もたぶんわしと遊ぶためにこの近くまで来たんじゃろう。
だがわしはその日別の子の家に寄り道をして、まだ寺には帰っていなかったんじゃ。この子達はわしを待ちながら、山の中で遊んでおったんじゃろうな…だからな、この子達のことをことを考えるとわしは胸が痛む。
あの日寄り道をせずにまっすぐ尋常学校から帰っていれば、この子達は死なずに済んだかも知れんと…。」俺はあまりの話にびっくりして住職の顔をじっと見つめてしまった。
住職は俺の視線にまったく気づかないかのように、墓と、その背後に広がる山に視線を向けたまま動かない。その表情はまるで昔を懐かしんでいるかのようだった。
「もしかすると」住職はまるで独り言を言うかのようにぽつりとこう言った。「あの子らはお前をわしだと思って遊びに来たのではないかな…」これで俺の話は終わり。
だけどこうして振り返ると、ほんとに俺はかれらに冷たいことをしたものだな、と思う。でも怖かったんだから仕方ない…と信じたい。