俺がまだ宮城の山奥に暮らしていた高1の時の事。
俺は幼い頃より、爺さんの指導で空手の修行を十数年近く続けていた。この日も俺は、学校の帰りに舗装されていない山道をMTBでガシガシと昇っていった所にあった。
とある山の山頂付近にある自分だけの秘密の特訓場所で1人黙々と空手の特訓に励んでいた。そして日も落ち辺りもすっかりと暗くなってきた頃、一通り特訓を終えた俺は、腹も減って来た事だしそろそろ家に帰るかなと、汗を拭おうとタオルを手にしようとした。
その時、俺は何者かの視線を感じとった。こんな山の中には俺の他には人は居ないハズ・・・何だ?俺は辺りを見回し、どうやらその視線を送っていたと思われる奴の正体をつきとめた。
そいつは猿だった。14、5メートル程離れた、木の陰からコチラの様子を窺っている。
この辺りで野生の猿は別に珍しいモノではないのだが、俺はこの時、何故かぞくりと戦慄を感じていた。そいつは無表情に俺を見つめていた。
敵意とか、好奇心とかそういったモノは、この猿の眼差しからは全く感じ取れず、ただ真っ黒い目で俺をじっと見つめていたのだ。宮城県では、野生の猿にエサを与える事は禁じられていたし、何となくこの不気味な猿に、俺は心情的にもかかわり合いを避けたかったので、そのまま、この特訓場所の入り口に止めてあるMTBの所まで、猿を無視して歩き始めた。
猿の方へ顔を向けない様、ただ前方だけを見つめて歩いていたのだが、その間、猿の視線は常に背中に感じていた。そんなこんなで、MTBの止めてある場所まで辿りついた俺は、さっさと家に帰ろうと、MTBに跨がってさぁ漕ぎだそうした瞬間、MTBの前輪がパンクしている事に気が付いた。
「さっきまではなんともなかったのに・・・」パンク修理の道具を持ち合わせてなかった俺は、仕方なくMTBを押して山を下ろうとした。すると前方に、さっきの猿がいつのまにか立ち塞がっていた。
錆び付いた釘を手にしながら・・・「・・・この猿が、パンクさせたのか?」俺の頭には一瞬この様な考えが過ったが、そんなバカな事あるかとすぐにこの考えを振り払った。そして俺は猿が立ち塞がっている場所を避けて、猿の脇を通り抜けようと、MTBを押しながら山道の端の方を通ろうとした。
そして猿の脇を通り抜けようとしたその瞬間、「キキッ」と鳴き声がしたかと思うと、猿が俺に向かって体当たりをかまして来たのだ。この山道は道幅が1メートルちょっと程しかなく、道の外側は木々の生い茂った緩やかな斜面になっていた。
不意を突かれての体当たりだった事もあって、俺はMTBもろとも山の斜面を転がり落ちてしまったのだ。俺は斜面を転がり落ちていく間に、木の幹や地面から突き出た岩等に、身体をしたたかに打ち付け、身体全身を打撲してしまい、左手首の骨は折れてしまっていた。
俺の身体は斜面の途中にあった大きな木にひっかかって、ようやくその場に止まる事が出来た。しかし、俺は全身からの痛みでしばらく身動きがとれないでいた。
その時、またあの鳴き声が聞こえて来た。「キキッ」俺はどうにか上半身だけを起こし、どこから鳴き声が聞こえて来たのかを確認しようとした。
しかし辺りはすでに真っ暗闇になっており、どんなに目を凝らしてみても2~3メートル先にも何があるのか分からない状態だった。と、その時、俺の右頬に凄まじい痛みと衝撃が走り、俺は上半身ごと地面に叩きつけられたのだ。
「・・・なんだ」俺は痛みよりも、一体、今、俺の身体に何が起こったのかという事で、頭の中が真っ白になっていた。「キキッ」また、あの声だ・・・まっ、まさか!?・・・「ぐはっ・・・」倒れ込んでいた俺の腹に、今度は衝撃が走った。
「くそっ・・・さっきの猿の野郎か・・・」俺は、どうやらあの不気味な猿から攻撃を受けているらしいぞと、その時点でようやく悟ったのだった。「くそっ、なんなんだあいつは・・・」俺は、なんで猿から攻撃を受けなければならないのか訳もわからないままに、つぎの猿の攻撃に備えて受けの体制をとった。
視界がきかなくても、俺に攻撃をしようと近づいて来た際に、奴は必ず物音を立てるハズ。その際にカウンターで渾身の正拳突きを食らわしてやるつもりだった。
この時、左手首の骨が既に折れている事は分かっていたので、長引いたりしたらこっちらが圧倒的に不利になってしまう。というか、今の時点でもこちらの方が分が悪い。
とにかくチャンスは数少ないという事だ。ガサ、ガサ、「キキッ」来た!!近い・・・目の前にいる・・・俺は腰の回転を効かせ、渾身の正拳突きを放った。
グチュ!!ん!?・・・な、なんだ、この手触りは・・・俺は拳に、ヌルヌルとした生温い嫌な感触を感じていた。そして、暗闇の中から低い唸り声が聞こえて来た。
「グェェェェェェッ!!ィテェ、ガガッガ!!テメェ、コロ・・ス!!ゼッテェェェコロオオオス!!」俺はすげぇビビって、身体の痛みも忘れて斜面を駆け下りて逃げた。今でも思い出すと背筋が凍る体験だった。
・・・俺は、いったい何と戦っていたのだろうか?