はるか昔、俺が小学5年生のときの話だ。
俺の小学校では、毎年夏になると、5年生全員が千葉県の○○という海辺の町で、「臨海教室」という合宿をやっていた。合宿といっても、小学生のことだから、昼間は海で泳いだり、夜は肝試し大会でキャアキャア騒いだりと、要するにレクリエーション大会みたいなもんだ。
だいぶ昔のことで細かいことは忘れてしまったけれど、東京の小学校だったので、海に来たってだけで、男子も女子も皆おおはしゃぎだった。夜、肝試し大会の前に、男の先生が生徒全員をまえに怖~い怪談を一発ぶちかまし、ベソかいて肝試しに行けなくなった女の子がいたり、肝試しコース途中のおばけ役の先生を「そんなの怖くないよ」と笑いとばした男子の頬に、別の先生が竹ざおに吊るしたコンニャクをベチャとくっつけて腰を抜かさせたりと、とても楽しい「臨海教室」だった。
俺たちが泊まったのは、海岸に近い古い木造の民宿の2階だった。消灯してからもしばらくは友達どうしでコソコソ話をしていたけれど、そのうちに皆、寝息をたてはじめた。
俺は昼間はしゃぎ過ぎたせいか、なかなか眠れなかった。電気は消されているけど、窓はあいていて、そこから外の月明かりがわずかに入ってくる。
そのぼんやりした光で、闇のなかにクラスメートたちの輪郭が、かすかに浮かびあがっている。聞こえてくるのは、皆の寝息と、永遠に続くかのような海岸の波の音だけだ。
そのとき、誰かの言葉がきこえた。「○○○○・・・」今となっては何と聞こえたのか覚えてないのだが、言葉ははっきりしていた。
誰の声かわからなかったが、誰かが寝言を言ったのだろうと思った。闇のなかを眼をこらすと、誰かが立っていた。
外からかすかな光ではほとんど見えないが、大人の背丈だった。ただ、頭部には大きな円筒形のようなものを被っていて、背中にはなにか筒のようなものを背負っているように思えた。
昔のSFに出てくる古いロボットのような気がした。夢をみていたのかも知れない。
実際、ここから先は、まちがいなく夢だ。俺はうす暗い海底を歩いていた。
上に海面がきらめいて見える。海底のなだらかな斜面の下の方から、誰かがゆっくりこちらに向って歩いてくる。
円筒形の金属マスクを被り、だぶだぶのゴムのようなもので全身をつつんだ人間が、右手に長い棒をもって、ゆっくりこちらに向って歩いてくる。円筒形のマスクの後からはゴム管が出ていて、それが背中のボンベのようなものに続いている。
足には重そうなブーツ。右手の長い棒の先には、なにか箱のようなものがついている。
古いロボットのような姿。それは一人ではなかった。
見ると、同じ姿をした10人ほどのロボット人間が、左右に一列にひろがって、同じようにゆっくり歩いてくる。みな右手に、箱のついた長い棒をもって。
一人のロボット人間のマスクから、突然、大量の泡が吹き出した。そのロボット人間は、もがくように胸元をかきむしり、膝を折ってうずくまると、閃光とともに音もなく爆発した。
血肉と白煙が海中に飛散した。俺が驚いて呆然としていると、別の一人もまた、同じように大量の泡を吹き出してもがき苦しみ、音もなく爆発した。
そうして、10人ほどいたロボット人間たちは、次々ともがき苦しんでは爆発していった。海中には、飛散した彼らの血と肉が大量に赤黒くただよった。
「○○○○・・・」また、先ほどの言葉が聞こえた。それが何であったのかは覚えていないが。
俺は夢の印象が強烈で、翌日はほとんど誰とも話さなかった。まわりが大はしゃぎしているのに、俺だけがめずらしく静かなので、担任の先生が体の具合を心配してくれたほどだ。
夢のことは長いこと忘れていたが、後年、作家の城山三郎が自著で、太平洋戦争末期に人間を機雷代わりに使う特攻作戦があった旨を書いているのを読んだ。この特攻作戦の兵士の装備が、俺が夢に見たのとほぼ同じだった。
もっとも、この部隊が訓練していたのは神奈川県の横須賀で、俺が行った「臨海教室」は千葉県の○○だから、場所はちがっている。横須賀から東京湾の底をあるいて千葉まで来たって事もないだろうが・・。