引っ越した先のぼろアパートには、ありがたくない先住者がいた。
戦災をのがれて生き残ったという、古き昭和の面影を残すこの建物にじつにぴったりな、うらさびしいその存在。荷物をはこびこむとき、そいつは部屋のすみに座ってうつむいていた。
かべのほうを向いて。まるで無言の抵抗をこころみるように。
こころのなかで、「ごめんよ。君はもうこの世界の住人じゃないんだよ」と、手をあわせながら作業をすすめた。
帰るといつもそいつは部屋にいた。かべのほうを向いて、かなしそうにしていた。
寝るときもそいつは部屋のすみっこにいて、べつになにか悪さをするわけでもなかった。もしかしたら、部屋にいくらか残ったままだった、そいつのものと思われる遺留品が心残りで、成仏できないのかもしれない。
残念だが、捨てさせてもらったよ。ちゃんとお寺で供養までしたんだよ。
しかし、そいつはくぐもった声で、「ここはおれの部屋だ」とくりかえし言うだけ。「君はここにいちゃいけないんだ。
君の帰るべき家は、」と説いて、窓の外、空の向こうを指差すと、そいつは肩をゆらして泣きじゃくった。そのとき、ハッとこころあたりがして、引き戸をあけて廊下へとびだし、すすけた部屋番号の木札を見た。
部屋をまちがえてた。ゴメン。
ほんとにゴメン。なんてあやまったらいいのか。
すてちゃったよ、君のもの。どうしよう。